譜面が出来るまで
この運動を始めたのは一本の電話からでした。
「この歌を子ども達を送り出す歌として歌いたいので譜面が欲しいのですが…」
それはこの歌を聴いた保育園の保母さんでした。
そしてとりあえずレコーディングのときの譜面をコピーしてお送りました。
翌年の春、事務所に一本のカセットテープが送られてきました。
そこには「おひさまのたね」を歌う先生と子ども達の声が入っていました。
途中で感極まって泣いてしまった先生。
それを囃し立てる子ども達の声などが、生き生きと録音されていました。
その間にも、仕事先でこの歌を歌うたび、
沢山の賛同と励ましの言葉をいただきました。
「この歌には人の心を動かす力がある。
私だけでなく、みんなに歌って欲しいノ」
その思いは歌うたびに強くなっていきました。
その夏、私の住む御殿場市の市民芸術祭の一環として行われた
「コーラスの集い」に招かれた時、
「最後にみんなで歌える歌はありませんか?」
と言われ、迷わず「おひさまのたね」を選びました。
少ない時間の中で、子ども達もシニアの方も一生懸命練習してくださいました。
当日はステージと客席での大合唱。
その時に感じたのは
「この歌は私だけの歌にしてはいけない。皆さんに歌っていただく歌だ」
ということでした。
そのことを事務所に話し「譜面を作って配れないだろうか」とお願いしました。
すでにメディアリングが音楽業界からの撤退を決め、
発売中の3枚のCDも廃盤になることがわかっていました。
「どれだけ時間がかかるかわからないし、大変な草の根運動になりますよ」
と言いながらも快く協力していただくことになり、
アレンジャーの平野氏にお願いして譜面が出来上がりました。
それは手書きのピアノ譜とコーラス譜でした。